
ロールスロイスと聞いてどんなイメージを思い描く?

超高級車。イギリス王室とかセレブが乗っているイメージ

そんなロールスロイスの広告を引き受けながら、「高級」とか「ラグジュアリー」といった形容詞を一切使わずに、翌年の売り上げを50%増にした広告業界の伝説的人物がいる。
「現代広告の父」デビッド・オグルヴィ
デビッド・オグルヴィ。1911年、イギリス生まれ。
彼は決して最初から順風満帆ではありませんでした。名門オックスフォード大学に入学するも、学業不振で退学になります。
失意の彼が流れ着いたのは、パリの高級ホテル「ホテル・マジェスティック」の厨房。
ここで彼は、料理人としてではなく、犬の餌を用意する下働きとしてキャリアをスタートさせます。 しかし、ここで彼は生涯の指針となる「規律」を学んだのです。
ホテル・マジェスティックの料理長ピタール氏は、どんな些細なミスも許さない完璧主義者でした。
オグルヴィは後に著書でこう振り返っています。
「私はピタール氏から、他人の怠慢を許容する人間は、自分自身も三流の仕事しかできないということを学んだ」
出典:『ある広告人の告白』(デビッド・オグルヴィ著 / 翔泳社)
熱々のスフレを最高の状態で客に出すタイミング。厨房の徹底的な清掃。 この時に骨の髄まで叩き込まれた「プロフェッショナリズム」と「ハードワーク」が、後のオグルヴィ&メイザー社の社風の基礎となったのです。
名コピーの源泉
イギリスに戻った彼は、高級調理用ストーブ「AGA(アガ)」の訪問販売員になります。 これが、彼の才能が開花する最初の瞬間でした。
彼は圧倒的な成績を叩き出しました。
あまりに売るので、会社から「他の営業マンのためにマニュアルを書いてくれ」と頼まれたほどです。
彼が24歳で書き上げた『AGA調理器販売理論と実際』というハンドブックは、後に雑誌『フォーチュン』から「これまでに書かれた最高のセールス・マニュアル」と絶賛されました。
「見込み客が退屈しはじめたら、彼らの知りたいことを話していない証拠だ」
「売り込みではなく、奉仕だと思え」
彼の広告哲学の核である「広告はエンターテイメントではない。商品を売るためのものだ」というリアリズムは、冷たいドアを叩き続け、主婦の心を掴んでストーブを売りまくった、この泥臭い現場経験から生まれたのかもしれません。
ギャラップ調査と「スパイ活動」
1938年、彼はアメリカへ渡ります。 そこで出会ったのが、世論調査の巨匠ジョージ・ギャラップでした。
オグルヴィはギャラップ研究所に入り、徹底的にデータ分析を学びました。
「人は何を考え、どう行動するのか?」
映画の興行予測から、商品の購買動機まで、400回以上の世論調査に従事しました。
この経験が、彼を他のクリエイターと決定的に差別化しました。
多くの広告マンが「ひらめき」や「アート」に頼る中、オグルヴィだけは「事実(ファクト)」と「調査(リサーチ)」を武器にしたのです。
さらに、第二次世界大戦中は、その分析能力を買われ、イギリス安全保障調整局(BSC)の諜報員(スパイ)として働きます。 敵国の経済状況を分析し、心理戦を仕掛ける。 「人間の心理を読み解き、行動を誘導する」という究極のマーケティングを、彼は国家レベルの実戦で学んでいたのです。
マディソン街へ
戦後、彼はペンシルベニア州でアーミッシュのコミュニティに入り、数年間タバコ農家として静かに暮らしました。 しかし、38歳の時、「やはり自分には広告しかない」と一念発起し、ニューヨークへ舞い戻ります。
1948年、オグルヴィ&メイザー設立。 この時、彼には「広告代理店で働いた経験」はゼロでした。 資産はわずか6000ドル。競合ひしめくマディソン街では無謀な挑戦でした。
しかし、彼にはパリで学んだ「規律」、訪問販売で培った「説得力」、ギャラップで磨いた「リサーチ力」がありました。これらを武器に、彼は伝説的なキャンペーンを次々と打ち出します。
ハサウェイのシャツ
「ただの白いシャツ」を売るために、彼は眼帯をつけた謎めいた男をモデルに起用しました(The Man in the Hathaway Shirt)。
「なぜ眼帯をしているのか?」というストーリー性(Story Appeal)を持たせることで、無名のブランドを一気に全米No.1の知名度へと押し上げました。
ロールス・ロイス
高級車を売るために、彼は3週間もの間、誰とも口をきかず、書斎にこもってロールス・ロイスに関する資料を読み漁ったそうです
そして生まれたのが、広告史に残るこのヘッドラインです。
“At 60 miles an hour the loudest noise in this new Rolls-Royce comes from the electric clock.” (時速60マイルで走る新型ロールス・ロイスの中で、一番大きな音は電気時計の音だ)
このヘッドラインの後、オグルヴィが書いた本文の文字数は607単語(日本語なら1500〜2000文字相当)。
当時の広告としても異例の長さです。
しかし、そこには「最高級の」とか「ラグジュアリーな」といった形容詞は一切使いませんでした。 代わりに、圧倒的な「事実」を提示しました。
「エンジンは出荷前に7時間全開で回される」
「車体には下塗りが5回施され、その都度手作業で磨かれる」
「ピクニック・テーブルは高級家具用のマホガニーで作られている」
「時計の音が聞こえるほど静かだ」というヘッドラインで興味を惹きつけ、その証拠となる事実を圧倒的な量で畳み掛ける。これが彼の戦略でした。
彼が訪問販売員時代に学んだ「具体的なメリットを語れば売れる」という鉄則そのものです。
「消費者はバカではない」
彼が残した最も有名な言葉があります。
“The consumer isn’t a moron; she is your wife.” (消費者はバカではない。彼女はあなたの妻なのだ)
出典:『Ogilvy on Advertising』(David Ogilvy著 / Vintage)
当時、広告業界では「消費者は単純だから、短い言葉で連呼すればいい」という風潮がありました。 オグルヴィはこれを真っ向から否定しました。
「妻が買い物をする時、どれだけ真剣にラベルを見比べ、家計を考えているか知っているだろう? 彼女を騙そうとするな。知性に訴えかけろ。必要な情報をすべて提供せよ」
だからこそ、オグルヴィの広告は「ロングコピー(長文)」が特徴でした。
「興味のある人なら、どんなに長くても読む。商品説明は長ければ長いほど売れる」 これもまた、彼がドア・ツー・ドアで主婦と対峙し続けた経験からの結論でした。
彼はなぜ「父」と呼ばれるのか
デビッド・オグルヴィが革新的だったのは、広告を「アート(芸術)」から「サイエンス(科学)」へ、そして「職人芸」へと昇華させた点にあります。
- パリの厨房で学んだ、妥協なき品質管理。
- 訪問販売で学んだ、顧客への敬意と説得術。
- 世論調査で学んだ、データへの信頼。
これらすべての人生経験が、彼の広告哲学を形作っていました。 彼が作った広告代理店は世界中に広がり、現代のWebマーケティングにおいても、彼の教え(リサーチ、ロングコピー、ブランドイメージ論)は、決して古びない「基本原則」として生き続けています。
38歳からの遅すぎるスタート。
しかし、回り道をしたからこそ、彼は誰よりも深く「人間」を理解していたのかもしれません。
【参考文献・出典】
- 『ある広告人の告白(Confessions of an Advertising Man)』 (デビッド・オグルヴィ 著 / 山内あゆ子 訳 / 海と月社)
- 『Ogilvy on Advertising(「売る広告」)』 (デビッド・オグルヴィ著/山内あゆ子訳/海と月社)



